歴史はただの勉強としてとらえるよりも、現代に置き換えると、とても役立つと思います。
例えば、無実の部下を罰してしまったトップなんかは、コミュニケーションが下手で悪い方悪い方に考えてしまうマイナス思考な人だったんだろうな、とか。
軍の統率を厳しくしすぎて失敗した将軍は、気の小さい人だったんだろうな、とか。
この将軍は能力はあったけども、自己PRが下手で出世できなかったんだろうな、とか。
あの将軍は能力はあるけど、空気読めなくて、嫌われ者なんだろうな、とか
情報を漏らして罰せられた将軍は、ただの噂好きで口が滑ったんだろうな、とか。
時代が古くても新しくても人間の心理というのは、似ているんだな、というのが伺えます。そして、何となく、そういう風に歴史を捉えると、ちょっと面白いんですよね。
ところで、いきなり話しが進みますが、戦国時代、織田信長は何故全国をほぼ統一できたのでしょうか?
僕は完全にビジョンの差だけだと思っています。まだ名古屋辺りの一国すら満足に平定できていない大名だった頃彼は鉄砲や洋服、洋食など欧米の文化に触れます。その中で彼が一番驚いたのは地球儀だったでしょう。
彼の中での世界である日本が米粒のようで、地球上には腐る程の土地が広がっている。
多分、ここで彼は「日本人同士で争ってる場合じゃないよ。早くまとまらなきゃやばいって」と感じます。(みやもとの勝手な解釈)当時は100年近く続いた戦乱の世。長期的な戦略が必要でした。
隣国を侵略したら国力を付けさせ、盗賊を退治し治安を維持し、戦った兵士にも休暇や恩賞を与えて、とか色々あったと思います。
でも、織田信長は一国侵略したと思ったら、休まず次の国へ侵略を開始し、有り得ないスピードで京都まで上ります。
武将、兵士や民衆をかなり酷使したのは間違いないでしょう。
当然、出る杭は打たれる宿命で、武田信玄や浅井、朝倉、三好、毛利などのオールスターに包囲されます。しかし、ここでスピード勘の違いが大きく出てきます。
当時、戦争エリートだった朝倉家は、織田軍の負けがほぼ確定していた冬。
兵士が雪で地元へ帰れなくなるのは可愛そうだ、と軍を地元に引き返します。
長年の戦争を経験してきたエリートの朝倉家にすれば、一冬越そうが越すまいが、織田軍の負けは変わらない、と思ったのでしょう。
普通の大名だったら、雪解けと共に降伏したのではないでしょうか?
しかし、日本を統一して世界に進出しようという織田信長のスピード勘は違っており、その一冬でしっかり準備を整え、敵側には取り返しの付かない一冬になってしまいました。
その後はご存知の通り、日本統一の夢半ばで明智光秀に殺されてしまいますが、意思を継いだ豊臣秀吉が日本統一を果たし、ついに朝鮮出兵を行いますが失敗に終わる。
死後、関が原を勝った徳川家康が平定し、世界に進出するのは明治以降までなくなります。
戦後60年の現代の僕らが日本が今後、戦争するなんてイメージできないように当時100年近く続いていれば国内の戦乱は無くならないと思うのが普通だった当時は、じっくり国を大きくしていく事が一番優れた戦略だったはずです。
しかし、異国の文化に対して感受性が豊かな武将が育てた一つの大きなビジョンが常識を無視した進軍・侵略を行っても、致命傷なボロは出さずに、戦乱終焉に向かわせる事ができたのだと思います。
今で言えば、兵士達も残業に次ぐ残業だったでしょう。(もちろん兵士達へは厚遇したと思いますが。)遠征するので、いつ奥さんや子供に会えるかも分からない。そんな状態だったら普通は不満でまとまりません。それでもまとめる事が出来たのは、
『世界は広いんだって。日本は争ってる場合じゃない。早くまとまらなきゃやばい。』
という、分かりやすいビジョン・使命感があったらだと思うんです。
※勝手な解釈です。
これは現代の経営にも言えているのではないでしょうか?
部下にちゃんと示せてますか?イメージさせてますか?
何故、頑張るのか?
第一目標として、いつまで頑張るのか?
頑張った先は、どんな状況になって、彼らにどんな影響があるか?
上場なんかはストックオプションもあるので、分かりやすい指標の一つですよね。
ただ、上場前の会社の大半は社内が実はボロボロだったりします。
そんなボロボロの会社をまとめ上げて、ギリギリでも上場させるには、
最終的にトップの魅力が大きいのだと思います。
過半数の社員に「この人ならやってくれそう」と思われないとダメなんでしょうね。